1回目:イントロダクションとパス32「土星」世界、2回目:パス31「火」審判,パス30「太陽」太陽、3回目:パス29「魚座」月(パス28)、4回目:パス28「水瓶座」星、5回目:パス27「火星」塔、6回目:パス26「山羊座」悪魔(パス25)、7回目:パス25「射手座」節制、8回目:パス24「蠍座」死、9回目:パス23「水」吊るされた男(パス22)、10回目:パス22「天秤座」正義、11回目:パス21「木星」運命の車輪、12回目:パス20「乙女座」隠者、13回目:パス19「力」獅子座、14回目:パス18「蟹座」戦車、15回目:パス17「双子座」恋人たち、16回目:パス16「牡牛座」司祭、17回目:パス15「牡羊座」皇帝、18回目:パス14「金星」女帝
19回目はパス13と「月」、タロットは「女司祭」
セフィラー6から1へ上がっていく問いは、私とは何者か?私の本質とは何か?
結論を先に書くと「何者でもない」「私の本質は語り得ない」
えぇ?!肩透かしみたいですが、講座では結論へ至る途中をじっくり説明していただいてるので、たしかにそうだよなぁという気持ちです。生命の木講座は今までも何回か受けさせてもらいましたが、今回がいちばん腑に落ちました(個人の感想です)
私とは何かよくわからない。何者でもないが、私は存在している。
では、存在とはなにか?存在するとはどういうこと?「何かが存在する」というのは「今、目の前にリンゴがある」というようなことに思うけど、今この瞬間のものだけじゃなくて、存在は時間との関係の中にあるんじゃないか?と問うたのが講座で出てきたハイデガーみたいです。
種を見ただけでは何の種かわからない。土に植えて、育っていってようやく「花はこんな色なんだ」「水に弱いんだな」「こんな実がなるのか」と発見できていく。いま目の前にあるリンゴがこの形になるまでの時間があった。
人間も、はじめっから何者かなんてわからないですね。社会に入って生きてく中で、他の人と比べたり評価されたりするうちに、自分ってこうなんだなというアイデンティティができあがってくる。
これを「反射光」と説明していただきました。パス13の占星術の対応は「月」、月は太陽の光を受けないと光らない。他者がなげかけた光の反射で自分をみてるんですね。
ふだんはそれが自分だと思ってしまいます。もともと確固たる自分なんてないのだから。なるべくならよく思われた方がいいし、いい評価を得たら、その自分で固定してしまいたい。
だけどもそれは、その人がその時にいるところでつけられた属性でしかない。居場所が変われば、時が経てば、変わるもの。
「女司祭」のもつTORAに不変の真の私が書き込まれてると思いたいとしたら、自分という人間の同一性を揺るがせたくないからかな。社会的地位、経済力、美醜など、ある基準のもとで優位に立ってたらなおのこと。
そうじゃない人間のほうが、むしろ自由かもしれない。「お金持ちはこういうのが趣味でしょ」「美人はこうするものでしょ」とかのパターンを期待されないですもん、はじめっから。
何者でもないから何者にでもなれるのですよ。
パス13「女司祭」の真下にはパス25「節制」、まぜこぜしてくこと。
おもしろいと思うものを、あれもこれもしてたら、私って人間は複雑になれるでしょう。ぱっと見で「あぁいうタイプはこういうのが好きだろう」「こういう趣味嗜好でしょ」て見透かされてはつまらない、「意外!」て言われるのがすき。
私らしさとは?
TORAに記されてるのではない。その都度たまたま出会うものと触れ合ううちにできてくる。
一回生命の木の上まであがってから、もう一度おりてきて、上から全部つながったときの「世界」のカードがその人の実現された固有性かぁ。
講座後、このテキストを読み返してます(『存在と時間』は手が出ないので、ど素人向けの解説を)。
ハイデガー『存在と時間』 2022年4月 (NHK100分de名著)
長く続いてるこの講座も、あと2回となりました。残りはいちばん上のパス2本です。私を超えて、自分を取り巻く世界、全体性と関係するとこです。
次回1/12はパス12、来年もよろしくお願いします。
以前の生命の木講座のパス13と占星術講座の「月」の感想文もつけときます。
占星術から学ぶカバラの「生命の木」10のセフィラー及び22のパスと星座・惑星・元素の関係
スケジュール
次回1/12、その次1/19
隔週金曜20時〜21時(1回1時間)
講師:伊泉龍一先生
受講料1回¥3,300
終わった回もアーカイブ受講できます。
お申込みはこちらから↓
https://thelema-s.com/online230324.html
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