レポ★タロットの大アルカナと共に学ぶ「生命の木」3の8回目パス11「愚者」2022/4/6

【第3弾】1回目パス18「戦車」2回目パス17「恋人たち」3回目パス16「司祭」4回目パス15「皇帝」5回目パス14「女帝」6回目パス13「女司祭」7回目パス12「魔術師」

今回は最後のパス11と「愚者」

ここにいくと「私はいない」。ここ数回の「私って何なのか?」が吹っ飛びます。私はいない、でも何かいる、自我はないけど生命はある状態、例えにあげられたのは胎児です。

胎内で「これをするために生まれていこう」も「どうせ死ぬから生まれないでおこう」も考えてないですね。ただ生まれてくる。生命の衝動で。

意識が芽生えてからも、幼い頃は衝動のままに動いてますねぇ。目に入ったものをただ追いかけて飛び出す、車に轢かれたら死ぬとか考えてない。明日のことを考えて早く寝ようともしない。遊びたいだけ遊ぶんじゃー。

「愚者」でなくなっていくのが大人への道なのかなぁ。

フロイト風にいうなら、快感原則で好き勝手に動く段階から、だんだん「我慢しなきゃいけないな」を覚えてく、自我が本能を抑えるようになっていく。パス11の「雄牛」、飼いならされてない野生は「雄牛を追う棒」に調整されていく(パス22「正義」)

自分を振り返ると、けっこうな年まで「愚者」でした。衝動のままに飛び出して。将来どうするとか、人生を棒に振るとか、後先をなんも考えてなかったからです。

とてもじゃないけど今あんな無茶はできない。長く生きてるぶん人間関係も増えて、衝動で行動したら迷惑をかけてしまう、と、気づけばパス24のように結果から考えるようになっていたな。

人間は脳が大きくなりすぎて、愚か者でいられなくなっちゃったんでしょうか。余計なことまで考えちゃう。「世界はどうなっているんだろう?」「生きてる意味ってなんだろう?」到達できない大きすぎる謎に挑んでしまう。

そこで答えを与えてくれる宗教なり自己啓発なりが生まれてくるんですね。そこにはまっちゃえばもう考えなくていい。だけどそれではベールの下、ホドでわかった気になって、イェソドの神話を生きていくことになる。

宗教的な答えには満足できない、でも科学に振り切って「なぜ?」を考えないのもなんか違う、なら哲学はいかがでしょうか?答えを出せなくても考えざるをえない、考えを止めないのがフィロソフィー笑

私は…最後のパスまでうんうん考えたからこそ、今この瞬間を生きるしかないって吹っ切れた気もします。

なんかしらんけど生まれてきて、たまたまこの身体で存在してる。そこに意味はない。「私って何?」解けない問いに縛られ続けるより、いま偶然こうなってるのを受け入れて、いろんなことやってみるほうがいいかな。死んでしまう前に。

ということで、全部のパスが終了しました。長期にわたり、ご一緒させていただいた皆さま、本当にありがとうございました。

同じように聴いていても皆さまそれぞれ感じることが違うでしょう。「これが本物の生命の木というのはない」、皆さんそれぞれの生命の木、またお話できる機会があれば教えて下さいね〜


今日のブログは千葉雅也さんの現代思想入門 (講談社現代新書) を広げながら書きました。今回出てきたフーコー、否定神学、以前出てたニーチェ、フロイト、カントの「物自体」、二項対立などなど、もうちょっと知ってみたいと思われたら読んでみてください。私にとっては今まででいちばん理解しやすい入門書でした。

タロットの大アルカナと共に学ぶ「生命の木」【第3弾】深淵の上まで

リアルタイムでは終了しましたが、録画でご受講いただけます。

講師:伊泉龍一先生
受講料1回¥3,000

  • 1回目:パス18/タロット戦車
  • 2回目:パス17/タロット恋人たち
  • 3回目:パス16/タロット司祭
  • 4回目:パス15/タロット皇帝
  • 5回目:パス14/タロット女帝
  • 6回目:パス13/タロット女司祭
  • 7回目:パス12/タロット魔術師
  • 8回目:パス11/タロット愚者

お申込みはこちら

伊泉龍一先生の生命の木講座◆タロットの大アルカナと共に学ぶ「生命の木」パス18〜11,タロット「戦車」から「愚者」オンライン講座
伊泉龍一先生の生命の木講座「下から上へ」版。生命の木のパス全部をタロットの大アルカナの絵やヘブライ文字との対応も含めて、じっくりと説明あります。第3弾はパス18〜11,タロット「戦車」から「愚者」
【第1弾】【第2弾】はこちら

【第一弾】マルクトからヴェールを抜けるまで
パス32〜24、タロット「世界」〜「死」

【第2弾】ヴェールの上から深淵の下まで
パス23〜19、タロット「吊るされた男」〜「力」

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