【第3弾】1回目パス18「戦車」、2回目パス17「恋人たち」、3回目パス16「司祭」
今回はまずパス16を振り返るところから。
パス16を聴いて思うのは「善きサマリア人」――身ぐるみ剥がされ、半殺し状態でたおれていた旅人を介抱し、宿へ運んで宿代まで支払った話。瀕死の人を前にして、何かしなければとわきあがった義の心というのかな。
今まで良くしてくれた人だから助けたんじゃない、この先の見返りを期待したんでもない、時間軸で考えてない。その人が助かるかどうかもわからない。でもその瞬間そうしたことに意味がある。
あるいは最初の雑談で出ていた環境問題。気候変動を抑えるにはどうしたらいいか、はっきりした解決策はわかってなくても、二酸化炭素を減らすと改善する可能性があるのならやったほうがいいだろうな、希望を失わずに。とか。
16は可能性がぐんぐんに強調されているパス。
可能性があるということは、どうなるかわからない。決まってないなら、選択の余地がある。それならなるべく情報を得て、できるだけ良いほうへ行けるよう考えたりするわけだけど、人生でこれをやりすぎると、せせこましい生き方になるのかな。
あとから振り返ってムダだったなと思うことがあるとしても、する前から「やってもムダ」だと止めてたら可能性はつぶれていきます。可能性の根源セフィラー2から離れて下のパスに落ちていくような。
自分でなんでもコントロールできると思っちゃうのが問題だとすると、次のパス15の「皇帝」は反面教師なのか。
皇帝=支配者だけれども、彼でも支配できないものがある。それは私に先んじてある生命の力。
息は少々止めることができても心臓を止めることはできない。なんかわからんけど生まれて、なんかわからんけど今生きてる。なんらかの力に動かされている。
ここはたくさんの例をあげて説明していただきましたけれども、生命力さえコントロールしようとする療法や思想もあるのですね。その全能感はもう少し下のパスの「悪魔」の「目」に似て。
皇帝だって全能の視点からは見ることができない。「窓」(このパス15のヘブライ文字)を通してしか。
生命力と「窓」の関係は、トート・タロットのが見て分かりやすい絵。
次回は2/23、「パス15もまた振り返りながら占いの意味も話します」とおっしゃってました。そしてパス14とタロット「女帝」へ。
パスの残りも少なくなってきました。どうぞ最後までおつきあいくださいませ。
タロットの大アルカナと共に学ぶ「生命の木」
【第3弾】深淵の上まで
【第3弾】はパス18〜11,タロット「戦車」から「愚者」です。
講師:伊泉龍一先生
次回2/23, 以降3/9, 3/23,4/6
20時〜21時(1回1時間)
受講料1回¥3,000
お申込みはこちら
終わった回も録画受講できます
- 1回目:パス18/タロット戦車
- 2回目:パス17/タロット恋人たち
- 3回目:パス16/タロット司祭
- 4回目:パス15/タロット皇帝
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