【第3弾】1回目パス18「戦車」、2回目パス17「恋人たち」、3回目パス16「司祭」、4回目パス15「皇帝」、5回目パス14「女帝」、6回目パス13「女司祭」
今回はパス12「魔術師」に入る前に、前回のパス13のヘブライ文字ギメルから。これは「ラクダ」って意味なんですね。渡るのが難しいパスを砂漠の旅に例えてるんだそうです。
「私って何なのか?」
お腹が空いてるときに食べ物を見たら「食べたいな」と思う、この段階では自動で反応してるだけだけど、「今、私はこれを食べたいという欲望をもってるな」とメタにみるのがティファレトですよね。そう気づいてる私って何?これが本当の私?
もっと下のパス20「隠者」のあたりでも自分探しがありました。今に満足してないから「本当の自分」を見つけようとしちゃう。でも「本当の自分」なんかない、いろんなことをやってるうちに浮かび上がってくるよ、と。
それがこのパスまで上がってくると、幻想としての「本当の自分探し」どころか、私の「本質」とは何なのか?という疑問が出てくる。
先日、15年ぶりくらいに昔の知り合いに会って「ぜんぜん変わってないですね」みたいな会話をしたばかりですが、いやいや、変わってますよね。見た目だって年相応に変化してるし、仕事上での立場も変わったんだから。でも話したら「変わってないね」て言いたくなる何かがある。それが本質?
このへんのお話は難しくてまだ消化できてないんですが、個人的に思いだしたスピノザの話を書きます。
古代ギリシャの哲学は本質を「形」として捉えていた、でも17世紀のスピノザという哲学者は、各個体が持っている「力」を本質だとした。たとえば馬。「形」でみれば農耕馬も競走馬も同じ馬、だけど農耕馬と競走馬では使う「力」が違う。ゆっくり耕す農耕馬は、速く走る競走馬よりも、農耕牛に近いのでは?
スピノザは、どんな性質の「力」を持ったものが、どのような場所・環境に生きてるか、具体的に考えるのが大事、と生態学的に見ていた。人間なら手足は2本ずつ、自由に動かせる範囲も決まってる、与えられた条件を超えることはできないけど、その中で自分の力をうまく発揮できるようにしていく。
セフィラー3の側の「形」と2の側の「力」。絶対的な世界があるんじゃなくて、人や虫や犬や、その身体に応じて世界が立ち現れてくる。私に何ができるのか?は下に降りていって実現する。などのお話を聞いて思い起こされたことでした。ほかにも…長くなるから止めます。
今回のパス12はセフィラー3と1を結ぶもの。3側の柱は、8思考からあがってきて3で知性の限界に至りました。なんで世界はこうなってるかはわからない、でも現に世界はこうある。そしてこの世界には超えられない枠組みがある。時空を超えられるとするのは「魔術師」の願望?!
次回はついに最後のパス11と「愚者」です。上のほうのパス3本をまとめていただけるそうです。
最終回もどうぞよろしくお願いします。
タロットの大アルカナと共に学ぶ「生命の木」
【第3弾】深淵の上まで―パス18〜11,タロット「戦車」から「愚者」
講師:伊泉龍一先生
次回4/6
20時〜21時(1回1時間)
受講料1回¥3,000
お申込みはこちら
終わった回も録画受講できます
- 1回目:パス18/タロット戦車
- 2回目:パス17/タロット恋人たち
- 3回目:パス16/タロット司祭
- 4回目:パス15/タロット皇帝
- 5回目:パス14/タロット女帝
- 6回目:パス13/タロット女司祭
- 7回目:パス12/タロット魔術師
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