1回目「愚者」「マジシャン」、2回目「女司祭」「女帝」、3回目「皇帝」「司祭」
4回目は
- 恋人
- 戦車
- 次回の正義、隠者の前振り
- 質問
今回の2枚は発達心理学でいうと思春期から社会に出ていくところ。
最初の方のカードは赤ちゃん〜幼少期だから記憶も定かじゃないけれど、10代からの思春期、反抗期は思い出しやすいからわかりやすいかも。いや、ピンとこない人もいるのかな?
たとえば「いい大学に入って、大きな会社に就職して、安定した家庭を築く」
こういった「決まった道筋」を疑うことなく歩む、タロットで言う「司祭」のカードが示す段階でうまくやれてたら、権威に反発なんてしないでしょう。

従順なら天国へ、逸脱したら地獄へ落ちる。「失われた30年」でこの傾向は強まってる気がします。
フールズ・ジャーニーのコンセプトがうけた時代はまだ豊かだったからドロップアウトができたんでしょうね。就職しなくてもバイトでそこそこ稼げたり、失敗してもリカバリーできるだろうという楽観があったから。今はレールを外れたら終わり、みたいな悲壮感がある。
おかしいのは、当時言われた「自己実現」とか「個性」重視だけは残ってること。今や学校でも個性を大切にって言うけれど、結局のところ、大人が望む「個性」であったり、大人に都合のいい「自主性」を作ってるように見える。まるで本人の意思でそう選択したかのように。
「司祭」の教えに「なんかおかしくない?」って疑問がわくかどうか。親や先生、社会が教えてくれたことと、実際に感じることとの間にある矛盾に気づくと「恋人」の段階へ。

伊泉先生がご自分のことを例にお話してくださいました。年代が違う方にはその時代のムードや流行り物が謎だったかもしれませんが、ご自分の思春期に置き換えて考えてみてくださいませ。
皆さんにとっての「禁断の実」はなんでしたか?
目が開けたら、裸のままではいられない。外の世界へと「武装して」出ていく「戦車」の段階へ。

中学生が急におしゃれに目覚めるのも、就活で「盛った」履歴書を作るのも、すべてこの「鎧を纏う」行為。
禁断の実を食べて得た生き方のモデルに近づきたい、自分の望むアイデンティを得たいなら「戦車」に乗って取りに行かなきゃ。
そうして頑張っても評価されないとまた凹むんでしょうね。SNS全盛の現代、「承認欲求」という言葉が飛び交う中で、私たちはかつてないほど「評価」に怯えてるかも(自分の思いと周りの評価が釣り合うかの話は次の「正義」で)
講座では、タロットが大衆化した1960年代アメリカのカウンターカルチャーから現代日本まで、時代によって変化する価値観とタロットの関係も語られました。文化的、社会的背景が変わればカードの意味も変わる、なるほど。。

『60sカウンターカルチャー セックス・ドラッグ・ロックンロール』
ロバート・C・コトレル (著), 伊泉 龍一 (翻訳)
ロックバンド「ドアーズ」のドキュメンタリー映画の話もあって、ジム・モリソンの人生が、「戦車」→「正義」→「隠者」→「運命の車輪」のシークエンスのようで身を乗り出しました。
そしてドアーズの一曲、The Endはエディプス・コンプレックスを歌ってるとか!
この曲The Endは、マイフェイバリットな映画「地獄の目次録」のオープニングで使われてるのが最高にいいんですよね
今回は、思春期からがテーマだったことで、伊泉先生の趣味ロックの話も多く、こういうの聴かない方には「ふーん」だったかもしれませんが、ご自分のことを思い出してた方もいらしたでしょうか。
私は、忘れてた過去がプレイバックして、切ないような恥ずかしいような、いたたまれなさでもじもじしてました。安全な「司祭」の道から外れ、禁断の実を食べて「戦車」に乗っていくほうだったからかな。
次回は2/24、「正義」から「隠者」あたりの予定です。またお待ちしてますね。
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