- 1回目:1「マジシャン」、9「隠者」、11「力」、19「太陽」
- 2回目:2「女教皇」、8「正義」、12「吊るされた男」、18「月」
- 3回目:3「女帝」、7「戦車」、13「死」、17「星」
- 4回目:4「皇帝」、6「恋人たち」、14「節制」、16「塔」
- 5回目:5「教皇」、15「悪魔」
最終回は10「運命の車輪」、20「審判」、21「世界」、0「愚者」
今までは下一桁が同じか、足して20になるカードでしたので、6回目はイレギュラー。どう対比していくのかなと思ったら、「運命の車輪」と「世界」、「審判」と「愚者」がペアになりました。
「運命の車輪」と「世界」、ウェイト=スミス版だと、四隅に同じような生き物がいて似た絵になってますが、
今回はマルセイユ版。絵が違います。「運命の車輪」は、取っ手のついた車輪にしがみついてる生き物たち。
見切れてますが、取っ手を回してるのは目隠しをした運命の女神だと言います。
この本かな?セバスチャン・ブラントの『阿呆船』に取っ手を握ってる絵があるそうで。
人間が動かせるものじゃないのが運命。輪がいつ回るかわからないのに、良いときがくるのを待ってるだけでいいの?「女帝」のように待つのが大事なときもあるけども、「運命の車輪」では待ってたら落っこちたり上がったりを繰り返すだけ。
「皇帝」のように自分さえしっかりしてれば何とかなるものでもない。自分中心じゃなく、運命の女神を中心においてるのが「世界」のカード。
気まぐれな女神に象徴されるように、いろいろなできごとは偶然が重なって起きている。コントロールなんかできない。たまたまこうなった状況で、この瞬間をすばらしいものにできるかどうか。
「運命の輪」「世界」どっちにも輪っかがありますが、輪にしがみついてぐるぐるし続けるのか、輪っかの中で踊るのか。輪から手をはなしてみないと「世界」の完成はないし、
「審判」のラッパも聞こえない。
”呼びかけに応える”というと、呼びかけが外からくるように思うけど、違うんですね。自分の中からわきあがってくるものが、可能性を目覚めさす。ほぉ、こんな私もいたんだ!と思ってみたいな。
でもその呼びかけが目的をもつと、謎の使命感やら何やらでまた不自由になってしまう。目的も意味もない、「何のために」もない「愚者」になるのもいいんじゃない?
何者でもなく行く先もなく、ぶらぶら放浪してる「愚者」ははみ出し者で、秩序がしっかりあるとこでは番犬に追われるかもしれないけれど、あるヒエラルキーの中で誰が上だ、下だってやってるのも滑稽かも。
カード№1〜9のグループと11〜21のグループの間にあるのが「運命の車輪」、ここでどうするかが後半カード「力」から「世界」へ進んでいくにあたっての鍵になるのかも。
今回は最後だからか、質問もたくさん。
- 受け入れていく「力」と偶然を肯定する「世界」の違いは?
- しがみつく「運命の車輪」、とらわれてる「悪魔」、縛られてる「吊るされた男」の違いは?
前回までのカードも含め、似てるようにも思えるカードの違いも説明していただきました。
全6回、ご参加の皆さまにはありがとうございました。ほかのカードと比べることで、各カードのニュアンスの違いを見ていくのがおもしろく思いました。
Zoom開催は今回で終了しましたが、アーカイブでご受講できます。
タロット大アルカナ·アドバンストーカード同士を対比で理解する
講師:伊泉龍一先生
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