レポ★タロット大アルカナ・アドバンスト6回目「運命の輪」「審判」「世界」「愚者」2022/8/10

最終回は10「運命の車輪」、20「審判」、21「世界」、0「愚者」

今までは下一桁が同じか、足して20になるカードでしたので、6回目はイレギュラー。どう対比していくのかなと思ったら、「運命の車輪」と「世界」、「審判」と「愚者」がペアになりました。

「運命の車輪」と「世界」、ウェイト=スミス版だと、四隅に同じような生き物がいて似た絵になってますが、

今回はマルセイユ版。絵が違います。「運命の車輪」は、取っ手のついた車輪にしがみついてる生き物たち。

見切れてますが、取っ手を回してるのは目隠しをした運命の女神だと言います。

この本かな?セバスチャン・ブラントの『阿呆船』に取っ手を握ってる絵があるそうで。

人間が動かせるものじゃないのが運命。輪がいつ回るかわからないのに、良いときがくるのを待ってるだけでいいの?「女帝」のように待つのが大事なときもあるけども、「運命の車輪」では待ってたら落っこちたり上がったりを繰り返すだけ。

「皇帝」のように自分さえしっかりしてれば何とかなるものでもない。自分中心じゃなく、運命の女神を中心においてるのが「世界」のカード。

気まぐれな女神に象徴されるように、いろいろなできごとは偶然が重なって起きている。コントロールなんかできない。たまたまこうなった状況で、この瞬間をすばらしいものにできるかどうか。

「運命の輪」「世界」どっちにも輪っかがありますが、輪にしがみついてぐるぐるし続けるのか、輪っかの中で踊るのか。輪から手をはなしてみないと「世界」の完成はないし、

「審判」のラッパも聞こえない。

”呼びかけに応える”というと、呼びかけが外からくるように思うけど、違うんですね。自分の中からわきあがってくるものが、可能性を目覚めさす。ほぉ、こんな私もいたんだ!と思ってみたいな。

でもその呼びかけが目的をもつと、謎の使命感やら何やらでまた不自由になってしまう。目的も意味もない、「何のために」もない「愚者」になるのもいいんじゃない?

何者でもなく行く先もなく、ぶらぶら放浪してる「愚者」ははみ出し者で、秩序がしっかりあるとこでは番犬に追われるかもしれないけれど、あるヒエラルキーの中で誰が上だ、下だってやってるのも滑稽かも。

カード№1〜9のグループと11〜21のグループの間にあるのが「運命の車輪」、ここでどうするかが後半カード「力」から「世界」へ進んでいくにあたっての鍵になるのかも。

今回は最後だからか、質問もたくさん。

  • 受け入れていく「力」と偶然を肯定する「世界」の違いは?
  • しがみつく「運命の車輪」、とらわれてる「悪魔」、縛られてる「吊るされた男」の違いは?

前回までのカードも含め、似てるようにも思えるカードの違いも説明していただきました。

全6回、ご参加の皆さまにはありがとうございました。ほかのカードと比べることで、各カードのニュアンスの違いを見ていくのがおもしろく思いました。

Zoom開催は今回で終了しましたが、アーカイブでご受講できます。

タロット大アルカナ·アドバンストーカード同士を対比で理解する

講師:伊泉龍一先生
受講料1回¥3,000

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