3回目の最後のほうであった「運命」の話を広げて、パス21とパス20の解説へ。
程度の差はあれ、ぜんぜん共感できない、訳わからない言動をみたら「自分だったらそんな事しない」って思うけど、ほんとにそうだろうか?
貧困に陥るとパフォーマンスが落ちるというお話がありました。前に先生から紹介してもらったこの本(だったかな)でも書かれてましたが
いっぱいいっぱいだと誰でも、簡単なことさえできなくなる、でも貧困から抜け出たら普通に能力を発揮できるようになるそうです。
「そうか、明日をも知れぬ身になったら、私だってそうなるかもな」そう想像したら、「は?なんで?」「おかしいやろ」とはとても言えません。
パス21は「開いた手」で、他者に心を開いていくと違う感情がわいてくる、なるほどなぁと思いました。
今この私なのはたまたまですもんね。選んで生まれてきたわけじゃないですもん。今の私は偶然そうしないでいられる環境にあるというだけかも。
逆に、他と比べて「なんで私はこんなふうなの?」と落ち込むことも数え切れないです(口にしちゃうと虚しくなるけど)。
ここで励まされるのがパス20「握った手」。「閉じた拳の中に可能性が眠ってるよ」。でもそれが何なのかは、誰かに教えてもらえるものじゃない、自分を見つめて探さなきゃいけないんですね。
パス20は「隠者」、自分にしかできないことを探すのは孤独な旅路だけど、見つけて生かせたらしあわせでしょうね。
固有性は一人ひとり違う、みんなバラバラ、そんなみんなが一つの世界で生きている、もちろん価値観が合わない人にも出会う、そしたら次のパス19「力」のカードですね。
ライオンに何言っても通じないよ…「話してもわからない」のも大変だけど、「話せばわかる」を突き詰めるのも怖い、みんなが同じにならなきゃいけないから。どっちかというと、私にはそのほうが怖いかも。
そしてここから、生命の木の「深淵」を超えていきますが、この先のパスは全部「わからない」
なんかわからないけど生まれてきた、この時空に。この世界という枠の中に。そこでバラバラの個人として存在してる。バラバラだから恋をして、人とつながっていく喜びがある。
生きてるって不思議。意識して動かそうとしなくても心臓は動いてくれてる、目には見えない生命力が私を動かしている。身体をとおして生命力を感じられる。
じゃあその生命力の源は?何かわからないところからやってくる。世界を動かす力が流れ出て、形や現象をとっていく過程が、いちばん上のほうのパスたち。めっちゃ大きい話です…
この4回講座は、生命の木の下から説明が始まり、現実的な部分から入っているので身近に感じやすかったかなーと思いますが、上のほうは対照的ですね。
でもどっちも大事ですよね。日々の現実を生き延びるために考えるのは必須(肉体がありますから食べてかないといけないですもんね)、でも時には「人生って?」「生きてる意味は?」など上に向かう問いも必要。生命の木は上下のバランスも気にしたいです。
受講された皆さまには、長時間の講座、どうもありがとうございました。またお目にかかりましょう!!
講座中お話にあったクリストファー・ノーラン監督の次回作予告
秋には映画館やってるかな…
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