生命の木の「恋人」のパス、「皇帝」のパスを思うなど

札幌の生命の木講座の「恋人」のパスで、「人はわかりあえないのが当たり前、だからわかり合える瞬間は貴重、わかりあえるよろこびを知る」てお話がありました。

そう聞いてすぐのタイミングで、それ、体験したんです。

人にわかってもらえないだろうなということって、そもそも話しにくいじゃないですか。価値観が違う人に言ったら、わかってもらえないどころか嫌われるかもしれないし。

久しぶりに友だちとサシで話せる機会があって、流れで、恐る恐る口にしたことを共感してくれましてね。なんだか秘密を共有したみたいでしあわせな夜でした。

彼女と話しててもう一つ気づきがありました。

20代後半からフリーランスでやってきて、「この件は報酬出せないけど経験になるからいいでしょ」「企画書を作っておいて(タダで)」とか、出したアイデアを他で使われるとか、いろいろありました。

フリーランス法ができた今、こんなのはNGのはずだけど、商習慣はそう簡単に変わらない。今でも、発注者の機嫌を損ねて干されたら困る、と我慢してる人もいるでしょう。

私はまぁ無償でも「新しいことができる」「面白そう」なら好奇心で引き受けてたほうですが、そういう人間がいるから悪習が続くんじゃないか?とふと思ったんですよ。

「皇帝」のパスで聞いた満員電車の例のように「自分もそれを作っている一員。私にも責任がある」

「自分の行動を変えると世界が変わる。世界を変える力が自分にある」

だからというわけじゃないけども、最近やってきた案件はお断りしたんです。虫のいい話に聞こえたから。

そしたらすぐ他の人に依頼が飛んでいき、無事に遂行されてました。私がしなくても代わりはいっぱいいるんだよなぁ。。。

頼むほうは、ただそのとき目の前にある「もの」を使うだけ、マジシャンのように?!

友が言った「便利な道具としか思ってないのよ」で、なんか目が覚めました。

心ない人と一緒に何かしてもおもしろくないんじゃないかなって。

決意が足りなくてまた落ちてくのかもしれないが、ひとまず今はそんな気持ち。

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