「おのずから」と「みずから」

「自(みずか)ら」と「自(おの)ずから」、見た目は似ててもぜんぜん意味が違うのおもしろい。

「みずから」は自分の思いのままに何かをすること、「おのずから」は思い通りにならない大きな自然のなりゆきのままで(みずからは「皇帝」、おのずからは「女帝」みたい)

「みずから」為したのか、「おのずから」成ったのか、どっちかだと考えてしまうけど、「みずから」と「おのずから」は必ずセットで、交差して重なってるっていう考え方を読みました。

たとえば「就職します」でなくて「就職することになりました」というとき。

「みずから」の努力や決断でもありながら、いろいろな巡り合わせなど「おのずから」の働きでそうなった、ミックスされてるニュアンスがある。

「おのずから」と「みずから」 ――日本思想の基層

「みずから」何かするにはまず、ほかとは異なる1つの主体としての自分がいる。でも自分の心臓は「みずから」を超えた大きな自然の働きに「おのずから」動かされている。というところは、生命の木で聞いたお話を思いました。「女帝」「金星」のパス14

となると、自分ってなんなんでしょうね。「みずから」操縦できる部分ばっかじゃないんだもの、「おのずから」どうなっていくかはわからない。環境や人との関係で思いがけずキャラ変したりもするでしょう。自分はこういう人間だと決めるのはできないのでは?

ほかの誰とも同じじゃない、だけど、私はこうですよ、とも言えない、では私とは何者か?は「女司祭」のテーマ。

次回の占星術から学ぶカバラの「生命の木」が「女司祭」のパス13で楽しみです(占星術の対応は「月」)

スケジュール
12/22:パス13と「月」
1/12:パス12と「水星」
1/19:パス11と「空気」

隔週金曜20時〜21時(1回1時間)

講師:伊泉龍一先生

受講料1回¥3,300

終わった回もアーカイブ受講できます。

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https://thelema-s.com/online230324.html

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