伊泉龍一先生の【札幌】生命の木講座レベル2、1日目はこちら
2日目は
- 8と5を結ぶパス23(吊るされた男)
- 5と6を結ぶパス22(正義)
- 7と4を結ぶパス21(運命の車輪)
- 6と4を結ぶパス20(隠者)
- ちょっとだけパス19(力)

1日前の「悪魔」のパスでは、不安から絶対的なものを信じようとした→思考の世界(8)に入り固定観念に縛られる→「吊るされた男」

足が上、地に足がついてない。現実を見てないから「たったひとつの法則」みたいなのを信じてしまうのか。
宗教やスピリチュアルの例は↓の本でも読めます

『至福を追い求めて―60年代のスピリチュアルな理想が 現代の私たちの生き方をいかに形作っているか』
ドン・ラティン (著), 伊泉龍一 (翻訳)
現実は複雑で決着がつかないことだらけ。一直線の因果関係で「これさえすれば大丈夫」はない、と気づいたら自分で考えなきゃいけないのだけど、考え続けるのがいかに難しいかという話。
流されちゃうんですね、思考が。現代の事情として、否が応でも目に入ってくる動画とか、気を逸らされるものが多いのもある。あれこれ考えるより楽しみに耽ってほうがいいや、もあり。
そうして9(月)のエリアで夢中になって、ファンコミュニティの仲間である、というのがアイデンティティになると、他者から独立した個人として「自分らしい生き方」「自分とは何者か」を考えなくて済むのかな。
「自分探し」が流行ったのも今は昔、という話のときにあげられた雑誌「ケイコとマナブ」

私、読者モデルやってて、いくつか体験レッスンを受けさせてもらいました笑
そのころは自分の好きなこと、やりたいことを探す習い事ブームだった。私もMC、ポップ心理学、アロマ、カラーと学んだりして、いくつかは仕事になって今がある。
【やったこと=自分】だと示す「正義」の天びん

やったことが自分なら、何かをなしたときにその人の人格が示される。自分のしてることは「正義」にもとってはいないか?襟を正すのを促されるカードでもあるな。
また、今までがどうでも、これからの私は変えられる。可能性に開かれている。

「運命の車輪」がつながるセフィラー4は「記憶」とも関連する。
記憶を使うのは、これまでをかえりみて「子どもの頃から苦手」「昔から向いてない」というふうに固定するためじゃない。むしろそれまでの自分を捨てるのに使いたい。未知のものに身を開いていくために。
過去をもとに今や未来を規定してしまったら可能性は閉ざされる。「自分探し」の前に「自分なくし」だ。

他の誰でもない、この私にとっていいものは私自身が見つけるしかない。人にはわかってもらえない。孤独だけれど、自分の道が見えてきたらば、単に楽しみに没頭するよりずっと生き生きしそう。
じゃあ何をやろうかな?今まで経験してないことにもトライしてみよう。と思ってはみたものの、足が進まないなら「力」のカードを思い出そう。

「力」のパスは12月のレベル3の初めにくわしく説明されるとのことです。
関係ないけど今回の二日はハイデガーの言ったことを思い起こしました。まわりの人がこうしてるから、自分もこうするというような人間のあり方は「非本来的」で、そこから不安を経由して、「本来性」に目覚める、とかそういうの。ヴェールの下から6にいくようじゃないですか?
12月はついに最終章、深淵の上。次もどうぞお楽しみに。

2025年12/6(土)12/5(日)
13:30~17:30 4時間2回
会場:札幌市中心部 大通駅近く
受講料:¥34,000



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