10月からの月一講座、最終回はこの5枚でした。

まず「死」のカード解説に1時間半、4時間講座の三分の一。ここでのお話が後のカードにつながっていきました。
5枚通じて、生きること、人生の意味を考える回でした。
誰のもとにも死の神がやってくる。それがいつなのかわからないのがミソですかねぇ。運命が決まってるなら残り時間を考えるだろうけど、わからないからまだまだ続く気がして、つい時間の無駄遣いをしてしまう。明日終わるかもしれないのに。
じゃあどう生きるの?
意味ある人生にしようとして何かコツコツやってても、まったく思いもしないことが起きる。「塔」の絵のように天から降ってくる、人間にどうしようもないことだと、宗教や神話に理由を求めたくなるものなのか。二度とそうならないようコントロールしたいとすれば。
だけど思い通りにしようとするから人生がうまくいってないんだとしたら?

昔タロットをゲームに使っていたギャンブラーに学ぶと、「この手であがろう」と決めてても欲しいカードが来ないのは当たり前。たまたま手元に来たカードで違う手に切り替えた方が勝てる。
思わぬカードを「これ使えるんじゃない?」呼びかけだと思って応じてみたら?
人生コースをガチガチに決めてるとそういう柔軟性がなくなっちゃうんですね。「これじゃない」「あれしか嫌」で頑なに欲しいカードを待ち続けてたらゲームが終わっちゃう。人生だったら何年も失うかも。手持ちの札を活かしてハッピーになるのが「今ここ」を大切に生きることでは?
「世界」のカードでは今この講座が行われるためには、みんなが生まれてないといけないし、父母が出会ってなきゃいけなかったし、その前の世代、もっといえば人類が誕生してないといけなかった、宇宙がなきゃいけなかった…壮大な話がありました。
私がファンの哲学の先生からも同じような話を聞きました。遡ればいろんな経緯や関わりがある、ある人単体で突如として意志が発生するんじゃない、能動でも受動でもない中動態の世界がある。「私がやった」と言うのも「やらされた」と言うのとも違う「こうなった」ということ、ありません?
講座内でもちょっとお話ありましたが、テレーマの教室があるのもそんな感じ。もともと占い教室をやりたかったのではなく、やらされてるのでももちろんなく、たまたまの巡り合わせでこうなった。「占い教室をやったら?」呼びかけに応じた意識もなかったけど、のってなければ今はない。あのとき「運命の女神」がきてたんだな。ふりかえれば何もかもに感謝しかないです。
「愚者」的な教室でもあるかも。私は占い師ではないし、占い界とのつながりが何もありません。占いの外の人間がやってる教室なのでね、占い方面から見たら常識はずれなとこがあってもまぁいいでしょう?
ご受講の皆さまにはありがとうございました。何度もお会いして親しくなると終わりがくるのが寂しいです。
朗報!来月も伊泉先生にスケジュールいただけました。内容が決まったらお知らせします。まずお日にちだけ2/16(日)2/17(月)3/16(日)3/17(月)それぞれ1デイ講座になるかと思います。
今回の講座で名前が出た本をあげておきます。

フィリップ・アリエス (著), 杉山 光信 (翻訳), 杉山 恵美子 (翻訳)

ミシェル・フーコー (著), 田村 俶 (翻訳)

ミシェル・フーコー (著), 田村 俶 (翻訳)

ジョルジュ ミノワ (著), Georges Minois (原名), 石川 光一 (翻訳)
2025/2/25
『レディ・ステディ・ゴー! 60sスウィンギン・ロンドン』
ショーン・レヴィ (著), 伊泉 龍一 (翻訳)

ドン・ラティン (著), 伊泉 龍一 (翻訳)

ラム ダス (著), ラマ ファウンデーション (著), 吉福 伸逸 (翻訳)

『タロット大全―歴史から図像まで』
伊泉龍一(著)
懇親会の写真を撮り忘れまして二次会の一部を。

外で立ったままスタイルは初めてかも。講座は4時間、そのあとの時間のほうが長かった?!リアルの教室に来られると、よもやま話というお楽しみがありますよ。
今期の大アルカナ講座では恋愛のたとえ(めったぎり?)が多かったからか、毎回講座後も恋愛論が飛び交ってました。好みのタイプもそれぞれですねぇ。おもしろかった!



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