本「サボる哲学」

先月見かけた番組で

100分deパンデミック論 | 100分de名著
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政治学者の栗原康さんが気になっちゃって、本を買ってみました。

表紙だけ見ると硬そうなんだけど、いやいや、爆笑しながら読みました。文のリズムがよくて、どんどんページをめくりたくなる、のせられる文章。

どんなことが書かれてるかというと、もっと自由に生きられるのでは?という可能性を感じさせてくれるようなあれこれ。

思えば、子どもの頃から将来を考えさせられ、受験をがんばって、必死で就活して、働きだしたら老後資金を貯めなきゃと、いつも未来のために今を犠牲にしてないか。

これはマルセイユ版の「死」のカードみたい。

「〜のために」最短ルートをいくなら、目的に関係ないことは全部ムダ。でも喜びを先送りし続けてていいの?自分がたてた目的に縛られて、自分の生が萎縮していく。今は二度と戻らないのに。メメント・モリ。

「幸せの一本道」を一直線に進むことと、無意味に寄り道して思いがけないことに出会うのとどっちがおもしろい人生なんでしょうね。

でも、どれだけ目的志向で生きてても、予測できない、コントロールできないものに出会ってしまうことはあるんじゃないですか?たまたま手にとった一冊の本、友だちに誘われていったライブが、人生を変えてしまうことがある(私はうなずいたとこだけど)。

あのために、このために。そんな私に先立ってなにかがとつぜん起こってしまう。(中略)ミュージシャンに音が宿るときがそうだ。詩人にことばが降りてくるときがそうだ。みえちゃった。きこえちゃった。いっちゃった。そこに主体性などない。主語である私を抜きにして、述語がいきなり暴れだす。自由意志をとびこえて、身体が勝手にうごいてしまう。

栗原康「サボる哲学」 p.158.-159.

このくだりなんかは、生命の木の右側の柱を思います。「力」の柱、木星の可能性と拡大。

予期せぬ何かとつながって予期せぬなにかに変化していく。自分の「閉じた手」が開くかもしれない。人に「開いた手」を差し伸べるのかもしれない。湧いてきた力がどこへ流れてくかもわからない。

大杉栄はそうやって、生きる力を自分でも制御できないくらいじゃんじゃん拡げていって、その充実をはかることを「生の拡充」とよんでいた。

栗原康「サボる哲学」 p.284.

最近ちょうど右側の柱のパスのことを考えてたからタイムリーでした。生命の木「のため」に読み始めたわけじゃないけど、結果的に考えをめぐらせられたな。

今やってる生命の木講座ではめったにありませんが、哲学の話もたまに出てきます。興味が出てもいきなりハイデガーの本に取り組めるかっていうと難しいから、日本の学者さんの著書で引用されている考えから私は学んでいます。「サボる哲学」ではフーコーやデヴィッド・グレーバーなどがよかったです。

来週はこれ申し込んだ

アーカイブ販売【2/14オンライン】國分功一郎×千葉雅也 いま「哲学」で考えることの意味|幻冬舎大学 大人のためのカルチャー講座|幻冬舎編集部
世界の根本構造が揺らぐ時代の、考えるヒント人間を人間たらしめるものは言語であるということは、20世紀の哲学の前提でした。しかし、21世紀に入って20年が過ぎたいま、コミュニケーションにおける言葉の価値は大きく低下し、「言語を使う存在」という...

この本がおもしろかったんですよー。

対談の収録ですが、お互いに話題を投げ、考えを深めていけるお二人の関係がいいなぁと思って。はじめから意見が全部一致しなくていいんですよね、議論を交わせる相手であること、そこから新たなものが生まれてくるのがいい。羨望の眼差し。

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