伊泉先生の生命の木講座・11/3はパス21と運命の車輪

前回のパス22と「正義」では、わかりあえない相手と対話して、お互いに納得できる合意点を見つけていくというお話がありました。

だけども、話し合おうとしても相手が話し合いに応じない、対話が成り立たない場合もある、じゃあどうする?というのは次回、ということで。

また、前回の講座では、なけなしのお金を無駄に失ってしまう人の例があげられてましたが、「私だったら絶対そんなことしない」って今は思っても、「運命の輪」が回ったらどうでしょう?

自分がその立場になったら、私だってその人みたいになるかも。そういう気持ちが芽生えたら、「バカじゃないの」なんて切り捨てられないでしょうね。

個人的に思い浮かべるのは、國分功一郎先生の「意志と責任」の話。

人が何かをするとき、必ず先立つものがあるっていうんですね。例えばお昼にうどんを食べるとして、そこにたまたまうどん屋さんがあった、作ってくれる人がいた、うどんが好き(になった過去がある)、短時間で昼食を済ませたい状況だった…など、過去や環境やいろいろからみあっている。

その人ひとりの純粋に自発的な行為はない、とすると、ある行為はある「運命」の中でそうなったというふうにもとらえられるのでは?

たとえば依存症の治療などで「あなたの意志でやったんだからあなたの責任」「意志が弱い」と責めたってうまくいかないときに、問題をいったん「運命」の側においてみると、逆にその人が責任を感じ始めることがあるようです。

(私じゃうまく書けないので、ご関心があれば下の本を)

<責任>の生成ー中動態と当事者研究

生命の木も、上のほうはたしか”私に先立つものがある”でしたかね。

パス21と「運命の車輪」回は11/3,祝日ですがあります。

【第2弾】ヴェールの上から深淵の下まで

講師:伊泉龍一先生
次回11/3
20時〜21時(1時間)
受講料1回¥3,000

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