奇跡的にOasisのチケットを手に入れた家族が、モッズコートを着て東京ドームに行ってます。会場の写真が送られてきて、羨みマックス。私は事務所でApple Musicでオアシス『Oasis Live ’25』ツアーのセットリスト流しながら仕事していますが
気もそぞろなのでブログをひとつ。
先日「海から飛び出る一粒の雫」という例えを久しぶりに聞きました。無限の存在から有限の存在が立ち現れるのを表すのに使われる比喩。

無限のもの—神、自然、宇宙、存在の根源、1なる存在—いろんな表現があるけど、個々の事物が生まれてくる大元が海として、そこから生成される小さな飛沫の一つ一つが有限の個体。そして雫はまた海へ帰っていく。
この比喩は、生命の木を聞いてる今だと、ケテルからマルクトへ「クリエイションの道」やん!と思っちゃう。

そして思い出した!「海から飛び出る雫」の例えをウェイト版タロット講座で聞いたな、と。
10年以上前の下の講座です。
これはウェイト自身の解説書「The Pictorial Key to the Tarot」を伊泉先生が訳してくださったのをテキストにして進める講座でした。ウェイトの記述だけでは何が言いたいのかさっぱりわからないので解説を加えていただくもの。
(「The Pictorial Key to the Tarot」は最近、邦訳プラス解説の本が出たみたいですね)

中村心護 (翻訳), アーサー・エドワード・ウェイト (著)
話を戻して。
この例えが出たのは何のカードだったっけ?気になって、ノートを引っ張り出してみたら「恋人たち」と「世界」でした。
「恋人たち」に関係するグノーシス主義の考え方で、
私たちの命は神の国からやってきた。私たちは神とまったく同質の部分を持っている(海から飛び出る飛沫は海と同じ成分)。なのに地上で暮らしているうちに神の国からきたことを忘れ、霊性を失い、物質的欲望に囚われている。霊性を目覚めさせよ!
「世界」のほうではまずウェイト自身のテキストの中にそれっぽいことがあるし、
神秘主義者は「私という固有性自体が幻想」だとした。私自身が神の一部だから(海からふっと出た飛沫)、私自身が霊的視点で世界を見ることができる。自己中心的でなく。
全体性の中に溶け込む時、神・世界と一つになる。本当は離れてさえいない。宇宙は一つだから。私たちには帰るべきところがある。
まぁこれくらいにしますが、ノートを読み返してたら「この講座ではスピリチュアルな話が多かったんだなぁ」と今わかる。ウェイト自身が神秘主義者だし、スピリチュアリズムや神智学、ニューエイジの話もされていた。
さて、先日「海から飛び出る一粒の雫」の例えを耳にしたのは、朝カルオンラインでの『ドゥルーズは哲学を横断した!』て講座でした。

海からひゅうっと現れる雫が個体化として、個体って何?意識が入れば個々の人間になる?足が速いとかなんかの特性を持つのが個体?いや、個体本質は世界で一つのものじゃなく、「どんな実体も神という実体のモードにすぎない」。
主体は予めあるんじゃなく、生成と変化の積み重ね。
これも生命の木のどこかに当てはめられそうだけど、今はまとめる力が私になく、書き殴るだけで終わります。




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