たまたま手にしたフリーペーパーで、”言語のもつ力”ってコラムに目が止まりました。
言葉によってイメージが現れる、それが感情を引き起こしたり、アクションを起こすきっかけになったり、その力は「呪術」のようだと。
一例として「鳥」の連想ゲームが載ってました。
一緒に並ぶ単語によってイメージする「鳥」は変わるんですね。「海、夏、船」とともにあればカモメ、「川、山、森林」だったらカワセミとか。またその船がヨットなのか戦艦なのかでも思い浮かべる情景は変わる。
「どんな言葉をどんな並べ方にするかで、聞き手の心に描き出されるイメージを操作できる」か。おもしろ。
ならばタロットはすでに文章になってるようなものですかね。もともと寓意画だったのだから、伝えたいイメージが先にあって描かれた絵。連想の必要なく、そのまま受け取るべきものでしょう。
一方で、ルノルマンの絵は単語みたいなものじゃない?単純にタイトルの物体だけが描かれてるんだもの。一枚でストーリー性はない。
とすると、ルノルマンのコンビネーションで、上のような単語の連想ゲームができるんじゃない?「鳥」を真似してやってみよう。

「鳥」と「船」なら?遠くから飛来した渡り鳥がもし喋れたら、異国の文化を伝えてくれるのかなぁ。いろんな人の話を聞く機会をもって、慣れ親しんでるものと違う未知の情報を取り入れよう、とか浮かびました。

「鳥」と「庭」なら?映画で見る貴族や富豪のガーデンパーティのイメージがわきました。ゴシップや内緒話も繰り広げられるし、出会いとおしゃべりを楽しむ場所でもある。おもしろがって参加しようぜって感じ?
ルノルマンは連想の自由度が高いのがいいとこじゃないですかねー。
ルノルマン本に書かれてる意味はそれはそれとして、自由に連想を広げて、その都度自分なりの呪文ができたらおもしろいんじゃないの?
ブログタイトルは冒頭のコラムを書いてた方の本「僕たちは言葉について何も知らない:孤独、誤解、もどかしさの言語学」の第1章のタイトルから。

目次を見るだけでおもしろそうです。「名づけが〈もの〉を生み出す」「京都のいけず文化は言葉の本質を突く」「想起する意味をコントロールすること」「なぜ個性のない言葉が〈個性〉を生むのか」などなど
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