本『60sカウンターカルチャー セックス・ドラッグ・ロックンロール』ひととおり読んだとこ

半世紀ちょっと前のカウンターカルチャーのはじまりから終わりまで、19章720ページの大作(後半150ページくらいは注や参考文献、索引ですが)、1日1章くらいちびちびと読んできてようやくラストを迎えました。

60sカウンターカルチャー セックス・ドラッグ・ロックンロール  ロバート・C・コトレル (著), 伊泉 龍一 (翻訳)

”自由の国アメリカ” と印象づけられてたけれども、そうでもなかったのがわかる。白人男性中心の強権的な体制、保守的な習慣や価値観に押し込められてた。それでも景気が良かったから、大多数の人々はなんとなくやり過ごせてたのだろうけど、消費を煽る企業広告に煽られ、手に入れても「もっともっと」と働き続ける人生に疑問を持った人もいたでしょう。

この価値観の中では人間さえもモノ扱いだったようです。妻は夫の所有物。黒人にはまだ公民権もない。自由はどこに?

それらに反対する人々はどうしたか?が書かれてます。

大量消費はしない、必要不可欠なものだけでシンプルな生活を、自然の中で自給自足の生活をしようとした人たちもいた。

ドラッグ体験で意識を変えようとした人たちもいた(これはこっちの本がよりくわしいです『ハーバード・サイケデリック・クラブ―ティモシー・リアリー、ラム・ダス、ヒューストン・スミス、アンドルー・ワイルは、いかにして50年代に終止符を打ち、新たな時代を先導したのか?』)

銃と爆弾で革命を目指した過激な人たちもいた。チェ・ゲバラやプラハの春、ベトナム戦争もあり、ロックバンドも革命やストリート・ファイティングマンを歌った時代。

どれもが成果を上げていたら、今とは違う世界ができていたのかなぁ。

主流の価値観から離れていく若者が多くなりすぎたら、体制側も放っておかない。社会の秩序を乱す者には容赦ない(その野蛮さは全体主義国家を笑えないくらい)。別に国家権力だけじゃなくて、常識的な一般市民からしても逸脱した若者は忌み嫌われたのだから、遊び程度に楽しんだ後はしれっと社会復帰してった子も多いのかも。

反体制の若者が旅してると、行く先々で排他的な人々にどう見られるかっていうのは映画『イージー☆ライダー』でも見られます。

牧歌的なようなヒッピーたちのコミューンもユートピアにはなりえなかった。組織をつくらず、個人個人がゆるやかに集まって協力し合うのが理想だとしても、ストーンして動かない人ばっかりじゃ生活が立ち行かない。そこに面白半分でやってくる週末ヒッピーまで大量に加わったら手のつけようがない。自由な生き方を求めてやってきた人たちが、集団のルールやリーダーをほしがるようになる矛盾もでてくる。

チャールズ・マンソンみたいなカルトもできちゃったりしてねぇ。タランティーノの下の映画も思い出されます。

カウンター・カルチャーは、なにしろ楽観と理想が先走って、地に足ついてなかったのは否めないか。自爆したような感もあり。

それでも、知識より経験、合理性より神秘主義、ピューリタン的労働より快感原則、科学より自然、一夫一婦制より拡大家族、ことごとくアメリカ的な価値観の反対をいった人たちが残した果実もありますわね。エコ意識の芽生えや、人種差別や性差別の改善とか。

今や、若者たちによる大規模なカウンターや、まして革命など夢見るものはいないんじゃないかという21世紀には、荒ぶるディオニュソス的なもの、そのダイナミックさがまぶしくさえ見える。その時代に生きてたらまた違うのだろうけど。

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