楽しみにしてた本「現代思想入門」を手に入れた。
何度も挫折してきたフランス現代思想だけど、本の「はじめに 今なぜ現代思想を学ぶのか」の前半部が公開されていて、
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/93161?media=gs
これなら読めそうと思いました。
現代思想を学ぶメリットは、が書かれてました。
現代思想を学ぶと、複雑なことを単純化しないで考えられるようになります。単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」で捉えられるようになるでしょう。
現代新書 世界の単純化が進む今だからこそ知っておきたい、現代思想より
今は「ひと言で言うと」「つまりこういうことです」てまとめるのが好ましいとされてるのかもしれないけど、複雑なものを複雑なまま理解できたほうがいいな。
いま聴いている「生命の木」がまさにそうだと思うんですね。「生命の木って結局はこういうことでしょ」て言っちゃったら台無しになるものがある気がして。
と、生命の木に引きつけてみると、この本の商品紹介にあるこれらの言葉が
- 物事を二項対立で捉えない
- 自分の成り立ちを偶然性に開き、状況を必然的なものと捉えない
- 人間は過剰なエネルギーの解放と有限化の二重のドラマを生きている
- 大きな謎に悩むよりも、人生の世俗的な深さを生きる
「あのパスで聞いたことみたい」って思えてきます。そんな今なら現代思想にも親しめるかな?
「生命の木」じゃなくても、なにか大物の体系を学ぶと、情報がどばーっと入ってきます。もちろん全部は覚えられずに忘れられてくんだけども、痕跡はうっすら残っているんじゃないかな。他の何かを学び始めたときにはじめて、消えかかってた足跡を発見する。それを辿っていけばちょっと早く行ける、みたいなのないですか?
生命の木も現代思想も「何のために」でもない勉強で、私がやってることのほとんどぜんぶ何のためでもないことだけど、目的がないから自由にやれるのだよなぁ、なんて思ってます。読も。
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