トークイベント:いま「哲学」で考えることの意味

昨日はこれ聴いてました(アーカイブ配信もあります)

【2/14オンライン】國分功一郎×千葉雅也 いま「哲学」で考えることの意味|【幻冬舎大学】大人のためのカルチャー講座|幻冬舎編集部
世界の根本構造が揺らぐ時代の、考えるヒント 人間を人間たらしめるものは言語であるということは、20世紀の哲学の前提でした。しかし、21世紀に入って20年が過ぎたいま、コミュニケーションにおける言葉の価値は大きく低下し、「言語を使う存在」という人間の定義は有効性を失いつつあります。 たしかに人間は、言語の「くびき」か...

國分功一郎さんと千葉雅也さんの対談、《いま「哲学」で考えることの意味》。

  • 紋切型から脱出する
  • 抽象化―距離をとってものをみる訓練

紋切型―みんながいいと言っている、社会的に認められやすい意見しか言えないのはなぜか?

一昔前に「量産型女子」ってありましたけど、浮きたくないっていうのが、見た目だけじゃなく内面にも及んでるのかも。枠組みから外れたくない、自分で考えたことを言ってうざいと思われたくない。

そうして何かに従おうとしてたら自由じゃない。そんな状態から戻ってこられるのが哲学することだという話。ふむふむ。

もうひとつ、抽象化するのが哲学のポイントみたい。抽象化すると没入しなくなる。状況から距離をとってものを見る訓練になる。

これは生命の木で6ティファレトの視点にたってみるのにも似てる?

あるいは、「どうしよう、困った困った」が頭を占めてるときにカードを一枚引く。たとえば「節制」が「混ぜなさい」と言ってる。どうしようどうしよう状態からちょっと離れて、カードの視点から考えなおすとき、それっぽい。

あと、1時間半の間になんども飛び交ったのは「身体」という言葉。手はここまでしか伸ばせないなど身体の有限性とか、身体とつながった独自性、身体の実感を持った言葉、とか。ここんとこ生命の木で聴いてた、こう生まれついた私のことなど思い出してます。

哲学って、そんなこと考えて何になる?問題への処方箋をすぐに出せないなら意味がないと言われがちだけど、今回のいろんなお話から《いま「哲学」で考えることの意味》をしみじみ考えてます。

哲学的思考が地球の運命に効くかはわからないけど「やってもしょうがない」とニヒリズムに陥るんじゃなく、希望をみていきたい。ですね、ほんとに。

コメント

タイトルとURLをコピーしました