本「心はどこへ消えた?」

丸善ジュンク堂のオンラインイベント、申し込んだ。

10/21:心の文学的側面について 『心はどこへ消えた?』刊行記念 東畑開人×千葉雅也 オンライントークイベント

占いと関係ない分野(心理と哲学)で活躍されてるお二方だけど、お名前を目にされてる方もあるかも。

東畑先生は鏡リュウジ先生とも朝カルでコラボ講座されてたし、千葉先生はマイカレンダー2021年7月号や来月発売のユリイカ(どっちもタロット特集)に寄稿されています。

私はちょうど下の2冊を読んでたとこなのですが、このお二人が対談とは意外で、聴きたくなりました。

東畑先生の「心はどこへ消えた?」は週刊誌に連載されてたエッセイ。

連載スタートが2020年5月で、読んでたら緊急事態宣言中の気持ちが思い出されました。いや、思い出されるというよりも、初めて意識できたのかも。心の底に沈んでた何かが水面にあがってきたみたい。

軽やかでユーモアある文章をぐんぐん読み進めるうちに、ふと「私の心はどうなってたっけ?」と思わされるような仕掛け(?)になってました。

忙しいとき、心は亡くなるのではなく、見失われるだけなのだと思う。私が反射神経だけで生きているときも、心は私の奥深いところで、ひそかに息をし続けている。冷凍庫の奥で存在を忘れられたドライアイスみたいだ。

「心はどこへ消えた?」p.127

これはちょっと生命の木を思いました。セフィラー10―9の自動運転で生きてしまってて、7(感情)に届かない、自分の気持ちを感じるのを忘れてるんじゃないか。忘れてることすら気づかないで。

心は言葉になって初めて形をとるというんです。話す相手がいるんですね。”心が一つ存在するためには、心は必ず二ついる”

対談ではどんなお話になるのかなー、たのしみ。

<イベント内容>
心には工学的に扱える側面と、文学的に語られるしかない側面がある。それは人間が人間を考えるために二つの角度があることを意味している。この20年を振り返るならば、心の工学は日常生活に深く浸透したが、一方で文学的な側面について語られることは稀になった。しかし、人間は群れの一員であると同時に、個でもあるのだから、心の文学的側面が完全に消滅することはないはずだ。人間が生きるとはどういうことか、そのとき心の文学的側面にはいかなる価値があるのか、精神分析に関心を寄せてきた哲学者であり、小説家としては近著『オーバーヒート』が芥川賞候補にもなった千葉雅也さんと語り合いたい。

イベント案内ページより

これも面白かった。入れたまま放置してたアウトライナーアプリ、なんとかもう一回使ってみるかな。

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