抑制を欲望する?

札幌での生命の木講座から、フランス現代思想をすこーしずつ読んでいます。亀の歩みで。

講座内で何度か出てきたミシェル・フーコーだと、「狂気の歴史」が興味深い。

中世からルネサンスまで、社会は狂気に寛容で、狂人は自由に街を歩けた、特別な存在という見方さえあったっていうのは、まんま「愚者」ですね(古いタロットの)

愚者

その後は「理性による非理性の排除」で社会から隔離されるようになったとか、やがて狂気は病として治すものになり、心理学が生まれる元になったとか…

あと、この頃の思想家さんたちがとりあげてた問題、「人はどうして自発的に服従する(支配される)ことを望むのか?」

謎です。なんで?って思います。でも、実際ありますよね。今年は特に、厳しい抑制を望む動きが強いし。

この特殊事情からしたら仕方ないとこもあるけど、フーコーのいう「規律の内面化」の極端なのが自粛警察なのかしら。

狂人が管理下におかれたように、規律に沿わない人もみな管理されていくのだろうかなぁ。愚者はいずこへ…

現代の思想家さんたちも、この状況にいろんな意見を出してますね。いろいろ聞いて考えを巡らす機会。

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