本『いつもの言葉を哲学する』

”言葉には物事に対するある特定の見方が含まれている” ということ。

新しい言葉によって、新しいものの見方が得られもします。「リヴィジョン」「イメジャライズ」なんかもそうじゃないですか?言葉を知って、今まで気に留めなかったことに気づいたり、これまでと違うふうに物事をとらえられるようになったりもする。

本でとりあげられてる「親ガチャ」のところ、ちょっと引用します。

自分の意志が及ばないもの、自分のコントロールを超え出たものを、人は「運」と呼んできた。あるいは「運命」、さらには「ガチャ」などと呼んできた。私たちの日々の行為の大半は、運の要素とそうでないものの網の目、、、として捉えることができる。そして、そのような「網の目」こそが、個々の人生の実質やアイデンティティをかたちづくっている。

いつもの言葉を哲学するp.29.

これって「運命の車輪」「世界」のようだと思って読んでたのですが

勝手に回される運命の車輪、ガチャ、似てるけど、「運命」という重苦しい言葉に対して「ガチャ」の軽さ。その訳は?

物事のとらえ方の変化が言葉を変えていくのと、新しい言葉が人々の意識を変えていくのと、両方あるけれど、繰り返される言葉によって人の生き方が変えられてくとしたら?ちょっと怖いですよね。

また、著者は ”言葉とは〈生ける文化遺産〉” だと言います。生活に根ざしている。

たとえば「土足で踏み込む」という表現は、家の中に入る時に靴を脱ぐ文化だから意味を持つ、なるほど。

文化を共有してる人同士だから通じるものがあります。占い用語も一般の人にはそのまま言えないじゃないですか。仲間内なら説明しなくてもいいから、あまり考えないでしゃべれちゃいますね。

が、”暗黙の了解”や”お約束”が強いとこでは、みんなのノリからズレない、当たり障りない意見しか言えなくなってしまうかも。ハイデガーの言ってた「世人」の意見というのか、ステレオタイプの意見を自分のもののように使い続けてたら、自身では何も考えなくなっていくのでは?

言葉はコミュニケーションのためでもあるけど、まずその伝えたい「考え」そのものを生み出すのが言葉なんですよね。「言葉で考えている」、ふだん忘れがちだけど大事なことです。

母語は何気なく使ってしまってるけど、言葉について、あらためて考えさせられる本でした。

Amazonで序章と第一章のちょこっとを試し読みできます。もしよかったら。

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