ワンドの衝動でぶらぶら出かけて近所の本屋でなんとなく買った本
三十年間、一日も欠かさず飲み続けていた作家が、ある日突然、酒をやめようと思い立つ。大酒飲みの断酒への道。
これがねぇ、生命の木の「リデンプションの道」みたいでした。
「なんで飲みたくなるのか」「やめるのがなぜ難しいか」など自問しながら、長年染み付いた生活習慣や、飲みたくなるときの思考や感情のパターンに気づき、無意識の習性を意識化していくのがまるで
生命の木を下から上へ、今の状況を作り出している原因をたどって、囚われからの解放へと向かう道の見本みたいな展開。
ふだんはヴェールの下で生きていても、こうしてじっくり内面と向き合ってくとティファレトまであがるときがあるんだろうなと思うんです。
自分を見るもうひとりの私が生まれる、自分の行為や感情を自覚する。目覚めると、思い込みにも気づくでしょう。
人間は自分のことを高めに見積もっちゃうみたいです。正確なものさしで測ってないから「不当に扱われてるんじゃないか?」くさくさする。でも自分を外から眺めたら?自分の愚かさが見えてくるかも(似たことが本「生命の木―ゴールデン・ドーンの伝統の中のカバラ」パス22「正義」のとこで書かれてました。p.319.)
「今日もしょうもない一日だった、だったら寝る前くらいちょっと飲んで楽しんでもいいんじゃないの?」の裏には「人生は楽しむべきもの」という思い込みがある、ていうのは、はっとしました。
お酒じゃなくてもアディクション全般、魚座―海王星的な何らかの現実逃避行動をしてるときって楽しみの欠乏からか?!
これを回避するのに「普通、人生は楽しくない」と何度も言おう、と著者は言います。
はぁ?と思う人もあるかもしれないけど、ティファレトからあるがままに眺めたら、人生は苦も楽もある諸行無常でございましょう。楽しみは求めて得られるものじゃない、不意に、偶然訪れるもの。そもそも人生は寂しいもの。
だからといって「じゃあ生きてる意味ないじゃん」と虚無に落ちてはいけない。本ではこのあと虚無退廃に陥らないヒントに続きます。
冷めた眼差しから虚しくなるのは”ティファレトの病”と聞きましたし、山羊座回でも似たような話がありましたが、この著者は山羊座、これが山羊座的な感性?と驚きもして。
本の終わりのほうは「酒をやめてどうなったか」も書かれてます。下から上への旅の後、もう一度マルクトに戻って、新しい現実に着地したよう。
ご興味ある方いないだろうけど、Amazonで試し読みできるのと
幻冬舎plusで著者がこの本を語ってます
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